diary 04 | 05 | 06 | January | February | March | April | Attack! | May | June | July | August | Saptember | October | November | December | 2005年12月31日 --大晦日-- ちっとも年末っぽくない〜 昼間には豆乳珈琲を飲みながら、絵本のコンテを練っていました。 実際に原画に入ろうと思っていた、予定が大分ずれてしまったので。 暮れの暮れには、また今年も「ゆく年くる年」を見るのです。 あの、「え?もう明けたの?!」と気付かない位、 さりげないのが良いです(笑) なまはげ中継あるかどうか、楽しみにしています。 来年も宜しくお願い致します。 2005年12月30日 --年賀状-- 今年は、新年のご挨拶をクリスマスカードにさせて頂きました。 とは言っても、その大多数はグループ展に 来ていただいた方々でしたので、結局今日は 会社や親族関係に年賀状を作成していました。 今までと全く違う、年賀状の王道を行くような絵柄・・・ 来年は戌年なので犬張子を載せてみたり、 毛筆のご挨拶を貼ったり。 なんか画像が少しドットってるのですが 指を折っているので、大目に見てあげてください(笑) 2005年12月29日 --Diaryをブログへ-- 来年からウェブサイトのDiaryをブログにします。 リンクの更新や容量などいろいろ、面倒クサガリ〜タなのです。 現在、ウェブサイトのほうにリンクさせて頂いている みなさま、そしてもちろんこれからの方々も! ブログの方へ貼らせて頂いても宜しいでしょうか?? それ以外は今まで通りです。 よろしくお願いします。 2005年12月26〜28日 --休-- 2005年12月24〜25日 --松葉ベンソン-- 文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
ちっとも年末っぽくない〜 昼間には豆乳珈琲を飲みながら、絵本のコンテを練っていました。 実際に原画に入ろうと思っていた、予定が大分ずれてしまったので。 暮れの暮れには、また今年も「ゆく年くる年」を見るのです。 あの、「え?もう明けたの?!」と気付かない位、 さりげないのが良いです(笑) なまはげ中継あるかどうか、楽しみにしています。 来年も宜しくお願い致します。 2005年12月30日 --年賀状-- 今年は、新年のご挨拶をクリスマスカードにさせて頂きました。 とは言っても、その大多数はグループ展に 来ていただいた方々でしたので、結局今日は 会社や親族関係に年賀状を作成していました。 今までと全く違う、年賀状の王道を行くような絵柄・・・ 来年は戌年なので犬張子を載せてみたり、 毛筆のご挨拶を貼ったり。 なんか画像が少しドットってるのですが 指を折っているので、大目に見てあげてください(笑) 2005年12月29日 --Diaryをブログへ-- 来年からウェブサイトのDiaryをブログにします。 リンクの更新や容量などいろいろ、面倒クサガリ〜タなのです。 現在、ウェブサイトのほうにリンクさせて頂いている みなさま、そしてもちろんこれからの方々も! ブログの方へ貼らせて頂いても宜しいでしょうか?? それ以外は今まで通りです。 よろしくお願いします。 2005年12月26〜28日 --休-- 2005年12月24〜25日 --松葉ベンソン-- 文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
今年は、新年のご挨拶をクリスマスカードにさせて頂きました。 とは言っても、その大多数はグループ展に 来ていただいた方々でしたので、結局今日は 会社や親族関係に年賀状を作成していました。 今までと全く違う、年賀状の王道を行くような絵柄・・・ 来年は戌年なので犬張子を載せてみたり、 毛筆のご挨拶を貼ったり。 なんか画像が少しドットってるのですが 指を折っているので、大目に見てあげてください(笑) 2005年12月29日 --Diaryをブログへ-- 来年からウェブサイトのDiaryをブログにします。 リンクの更新や容量などいろいろ、面倒クサガリ〜タなのです。 現在、ウェブサイトのほうにリンクさせて頂いている みなさま、そしてもちろんこれからの方々も! ブログの方へ貼らせて頂いても宜しいでしょうか?? それ以外は今まで通りです。 よろしくお願いします。 2005年12月26〜28日 --休-- 2005年12月24〜25日 --松葉ベンソン-- 文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
来年からウェブサイトのDiaryをブログにします。 リンクの更新や容量などいろいろ、面倒クサガリ〜タなのです。 現在、ウェブサイトのほうにリンクさせて頂いている みなさま、そしてもちろんこれからの方々も! ブログの方へ貼らせて頂いても宜しいでしょうか?? それ以外は今まで通りです。 よろしくお願いします。 2005年12月26〜28日 --休-- 2005年12月24〜25日 --松葉ベンソン-- 文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
2005年12月24〜25日 --松葉ベンソン-- 文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
文字通りの「苦しみマス」 聖夜に一片の相棒を授かった。 病院の検査で、やっぱり左足が痛いと訴えましたら、 レントゲンを撮りましょう!と言われ、 車椅子に乗るよう指示されました。ドキドキしましたが、 結果は、やはり骨に異常は見られないので「捻挫」と診断されました。 こうして、松葉杖のベンソンを病院からレンタルしてきました。 アルミ製なので軽く、高さの調節が出来る凄い奴です。 でっかい字で東○大学○倉病院 整形外科と、 ルミナス・マゼンタ色で書かれてあるので、 歩く時はとっても恥ずかしいです。 写真を撮ろうと思ったけど、恥ずかしいそうです。 しばらく、ジョンソンの代わりをよろしくな☆ 2005年12月21〜23日 --ひ肉-- う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
う〜ん・・・今クリスマスに纏わる絵本を描いているなんて。 描き出した頃は、まさかこうなるとは思わなかったのですが、 とにかく、生きている事に感謝です。 2005年12月20日 --アナ先-- これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
これまでの、あらすじ(笑) クミコフがCDで退行睡眠を試みた時だった。 先ず足元を見ると編み上げ靴、というかブーツじゃないけど そんな様な古臭い革靴、もう自分自身走り回っていて足元見れたもんじゃない。 先を見ると尖がり帽子のヘルメットを被った、何人ものゴッツイ男性達が闘っている。 見上げたら船の帆は赤白の縞々で、一瞬"デンマーク"の文字が過ぎった。 自分の顔は見えなくても、すんぐりムックリした体型(妙に現実的)で 黄土色っぽい髭が生えているみたい。 なんだろうと思って、ネットでデンマークの歴史を調べたら、あの紅白の帆! (つづく) デンマークというと、それまではアンデルセン生誕200年記念のボローニャのコンペに 「野の白鳥」を出品したとか、ロイヤルコペンハーゲンとB&Oくらいしか知らんかったのだけど ものすごく今、行きたくなっています。 それで不思議な事に、最近ふと目に留まった本やテレビなどで、偶然にもデンマーク関連の特集が 載っていたりするのは、本当に驚きで必然性を感じずにはいられません。 ・・・と、これをオカルトチックに解釈するのは簡単なので、 クミコフの浪漫(又は妄想)かぁって昔話を聞いたニュアンスで願います。 そんなんで、以前ヴァイキングであった時(笑・・・いや、ここは浪漫を感じるの意で"漫") 住んでいたのがデンマークだった関係で(笑)検索していたら、 こんな占いを見つけました。 うれしい事に結果は「H・C・アナセン(アンデルセン)」 結構的を得た結果でした。しかも幸運をもたらすライトは、非常灯です!って・・・ 童話の神様にあやかりたいものです。 2005年12月17〜19日 --休-- 2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
2005年12月16日 --会社に復帰-- まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
まだ足もびっこ気味ですが、遅刻しても出社できました。 とにかく、気持ちまで病気ではいられないです。 というのは、今年はお腹から来る風邪が流行っていて 甥っ子1号からそれが広がり、うちの夫も事故の翌日にダウン、 そして甥っ子家族、出ずっぱりの旦那さん以外4人(乳児含む)全滅・・・ 今ではかえって甥っ子1号は完治してピンピンしているそうです。 「我々は屈しないわよ!」と元気な義母父と気合を入れるのでした。 でも何か吐き気がする・・・事故の影響が後々あって嫌。 この辺で日記はおしまい。 2005年12月13〜15日 --ひかれた -- 交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
交通事故・・・要は車に跳ねられました。(という訳でこの日記は15日にup) 出勤途中、朝7時20分頃です。 家を出た直後でしたが、向かいから来た左折車(運転手から見て)が来たので、 速度を緩めましたが、止まってくれなくて、左半身を直撃し ボンネットにUの字に乗り上げて跳ね返り「あぁ、今飛び上がった」と分かりました。 そして、頭をアスファルトにぶつけてはマズイと、うつぶせに倒れこみました。 「大丈夫ですか、すみません!」 運転手の人が駆け寄ってきて、状態を仰向けにされました。 横目に、自転車や荷物が散らばっているのが見え、結構飛ばされたんだなと感じました。 とにかく、ものすごく左手の人差し指が痛くて、救急車の音が鳴って来て 「音消してよ〜」と思っていたら、救急隊員が起き上がれますか?と聞いてきた。 起き上がれるわけないやん!という目でおっちゃんを見ると、担架に乗せてくれました。 不思議な事に「加害者がいい人でよかった、ありがとう。」と思いました。 病院をA病院とB大学病院と選ばされて、Bに行った事があったのでBにしました。 何だか左のほほに怪我を負っているように感じながらも、 とにかく左手の人差し指が痛く、隊員にここがとにかく痛い!と。 救急で病院に運ばれ、外科の先生等でレントゲンを取ってもらいました。 折れたのは左手の人差し指です。データエントリーなのにやっちゃいました。 顔も腫れています。かすり傷ではなくて、たんこぶのように青く膨れていました。 だけど右手は擦り傷だけ。利き手が無事でなによりでした。 ただ、左足が打撲か何かで自由に歩けないのが不便です。 あと冬の寒い朝だったから厚着が良いクッションになったのかもしれません。 GAPのジャケットよありがとう。 ちなみに私は、身を挺してジョンソン(自転車)をかばったみたいです(笑)なんで?! その後は、保険会社から連絡があったり、誠実な加害者さんから お見舞いのお花とお詫びのご連絡を頂きました。 そして、会社を3日連続で休んでしまった。(もちろん連絡しています) 3日たって思ったことは、思ったよりも体のあちこちがガタガタだったのと 大学病院の要領の悪さ!!←声を大にして言いたい位。 次は21日とクリスマスイヴ診断。 3連休な筈だったのに〜あいたたた。 2005年12月11〜12日 --休-- 2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
2005年12月10日 --Celtic -- ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
ケルティック・クリスマスへ行ってきました。 つまりは、アイリッシュやケルト中心の音楽会です。 兎にも角にも、デンマークのデュオ、ハウゴー & ホイロップや、 アイリッシュ・ダンスのジーン・バトラー、 マイケル・マックゴールドリックなど、 いろんな方の公演がこの位のお値段で見られるのだから、 迷ったのだけど、いきなり今日行く事に決めたのでした。 そして、見てきた!カッコイイです。 クールなアドリブが出た時には、お客さん同士で もうちょっと掛け声かけてもいいのに〜と 元ジャズ研の私は思ってしまいました。 とにかく、その位踊りだしたくなるような一夜でした。 デュオバンドと打楽器にはチェックが行ってしまいます。 同じ編成だけに・・・(あ、楽器は違うのよ) というわけで、ハウ & ホイやマイケルバンドは、 テクニックはもちろん、その国に浸透してきた歴史や空気を、 音楽を通して伝えてくれました。 ますますデンマークに行きたくなりました。 そして、ジョン・ジョーの素晴らしい解釈を聴いて、 Bodhran(バウロン、ボーラン)をやりたくなりました。 2005年12月9日 --やっと分かった-- 私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
私はちゃんと言ってなかったようです。 「君のやろうとしている事が、やっと分かったよ!」 ごめんなさい〜すっかり言った気でいたので・・・ これからもっと頑張ります! 2005年12月8日 --しあわせ〜-- しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
しあわせ〜な午後でした。 幸せに思うことは、心に留めておきたいので 言葉では多くを語らないのです。ありがとう。 2005年12月7日 --休-- 2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
2005年12月6日 --催促-- 前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
前述の英国人、ジョナさんが先週末から 『夢を実現する為には、決心しなきゃいかんのよ〜』 と催促して来ているのです。決断する事が分かっているだけにドキッ! 『あなたったら、そろそろこの段階を終わりにしなさい。』にはさらにひやっ! しかも『お金は心配しないでいいんだぁ、大丈夫だから!』とも。 どうしよう。 2005年12月5日 --もうちょっと-- 帰宅後、途中だった絵を仕上げた。 みなさん、遅くなってごめんなさい。 もうちょっとお待ちください。 2005年12月4日 --もう一人-- 免許の更新に行ってきました。 困った事に、優良講習でしたので30分でお話が終わり、 新しい免許を頂きました。と同時に自分の中のもう一人が消えたのです。 それは唯一残っていた私の旧姓です。○田だった証でした。 免許証の写真は『もう、名前に迷いはありません。』 という表情を浮かべていました。 2005年12月3日 --ありがとう。-- ありがとう、という言葉によって、どれだけほっとすることでしょう。 深夜、ほとんど3日?って頃に、チーム・ボローニャの T君から「僕の絵本が出版されたよ〜」コールがあり、 喜びを分かち合いました。 同じ志の友は本当に貴重な存在です。 絵本や売り込みの事やら抜歯の事まで色々お話できて 元気が出てきました。 ストイックに、ただただ前へ前へ・・・だね。 韓流にまけじと、和流『し○さま』として応援します。 ありがとう。 2005年12月2日 --バッシー・フェイス・オーケストラ-- GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
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GAPでかなり防寒に効くダウンジャケットを誕生日 プレゼントとして購入後、抜歯してきました。 どうしてあんな風に異常に怖がっていたのか 痛い痛くないは別として、とても不思議です。 抜く前に、実家の母から、 「あなた、イタリアへ独りで行くのと歯を抜くのと どちらが勇気いるとね??」と聞かれ、迷わず抜歯を選択。 おかしいかしら? ・・・と、いいつつ、ボローニャへ売り込みに一緒に行く方 いらっしゃいませんか? 売り込みなので、ラッキーな事が無い限り、観光はお預けかもだけど・・・ 2005年12月1日 --bald-- 英語で隔世遺伝の話になったのですが、 おじいさんの禿は孫に現れる、と良く聞きます。 (その辺りはもちろん一概には言えないですヨ) Jeffは髪の毛が少ないから不安がっていましたが、 もし禿げてきたら思い切ってスキンヘッドにするな、と。 だけど、スキンヘッドで図体のデカイ英国人はいやでしょ?? と同意を求められるのでした。 坊主とbald、何か似ていませんか? 小(しょう)とshortサイズも響きが近いし。
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